◆特定非営利活動法人 鐵の学校◆
特定非営利活動法人鐵の学校は平成16年1月5日に福島県より認証を受けました。福島県を中心に東北各地で「科学の移動実験教室」を開催しています。また、環境に関しても設立当初から重大な関心をもっており、今回はトヨタ環境財団の支援を得て環境人育成講座を開催させていただくこととなりました。
「鐵の学校」という名称の由来
毎日毎日朝から夜まで、鉄を削ったり磨いたりしていた時期がありました。夜、警備の人に追い出されるようにして機械加工室から出て、寮の自室に戻る途中に突然「鐵の学校だな」と思いついたのでした。50歳の時でした。鉄に染まっていた時期でした。長くは続かなかったけれど幸せな時間でした。
それから特定非営利活動法人にするまでに1年半の時間がありました。 その間、福島県の海側には広大な製鉄遺跡があることを知りました。8世紀から11世紀の長期にわたって、砂鉄からの製鉄がおこなわれていたのです。
紀元前15世紀(16世紀?)にヒッタイト(ヒクソス)人が始めた製鉄が、千年から1500年かって大陸を東に伝わって日本に入って来た。そうなのかもしれないし、そうでないかもしれない。ヒッタイトが行っていた製鉄は鉄鉱石から鉄を作る技術だし、日本で行っていたのは砂鉄から鉄を作る技術だ。ちがうのではないか。 ただ、鉄を武器に使用した集団は、青銅の武具で闘う集団よりも強かった。鉄は、古代の世界を武力支配する重要な道具だった。
イギリスでの産業革命。
鉄がなかったら、機械はできず、産業革命も起きなかっただろう。石炭を使って大量の鉄を作り出すことができるようになった。値段も、下がった。石炭を使えるようになるまでは、大量の炭を投入するしかなかった。製鉄には森がなくなるほど大量の炭が必要だった。鉄は、人類の歴史をまぎれもなく動かしてきた。
鉄は、私の中で、戦争と破壊のイメージが強いものとなったていたのです。
しかし、人類全体としてはどうだろうか。
結局は、人口が増加する方向に動いてきている。増えすぎているという問題もある。
文明というのは、一筋縄ではいかない。
全体的に見て、鉄という物質は何に付け「鍵」となるものであると思うようになった。
強くて硬いのに、放っておくと錆びて使い物にならなくなり、最後は土に帰ってしまう。そういう性質もおもしろい。
そして「鉄」と「哲」はテツで発音が同じだ。哲の学校。これでは荷が重すぎる。「テツの学校と聞いたとき、哲の学校だとすぐに思いました」と言われたこともあったのですが。
まあ、哲よりも鉄をキイ物質として、環境や技術や科学について考えていく。学校教育という場を離れて、自由に考え体験する「別」の学校があってもいいな。そんな思いで鐵の学校の名前がつきました。鉄と書かず、昔の鐵としたのは、「金を失う」では辛いからです。やはり、鐵は、金属(カネヘン)の王なる哉、なのです。
はじまり
福島県で法人申請以前は、1993年ころ(平成元年)から千葉県を中心に「ものつくり」の活動を始めました。
金属加工によるものつくりを始めました。
主に、ソーラーカーとそれを運搬するためのキャリア、各種治具なとの製作です。
アルミ加工、鉄加工が主ですが、軽量化を強く要求されるソーラーカーでは、FRPやCFRPの加工もせざるをえませんでした。
そんなとき、あまり目的意識をもたない若者が、鈴鹿サーキットで走れるという夢だけで集まり、製作のボランティアをします。そうした中、若者がものつくりの作業をしているうち、急激にこころの成長を遂げるのをしばしば目にしました。
「ものをきちんとつくることができることと、物事をきちんと考え判断することができることは表裏の関係にあるのではないか」と考えるようになりました。
そして、ものつくりから心の成長を実現する「鐵の学校」構想が生まれました。鉄になった理由は、そのころは、金属加工の技術向上のため、毎日鉄を削ったり、磨いたり、穴を開けたりしていて、鉄まみれの状態だったからです。
あとになって、鉄は哲につながったり、「鉄は熱いうちに打て」というような言葉を思いだしたりしました。
ものつくり
モノを(こころをもった人間が)つくる。一般に「ものづくり」と言われています。
私たちは、「ものつくり」と濁らずに表記することにしています。
それは、物が作られていく、流れ作業のようなイメージを中心におかれているのではなく、「生きている存在である私たちが、生きるために(ものを)つくる」というふうに、「つくる」ことに力点があるイメージをもっているからです。
だから「づくる」のではなく「つくる」のです。
環境とものつくり
環境問題についても重大な関心をもっています。
実際、金属加工でものをつくってみますと、たくさんの廃棄物が発生します。
ものを作っている人は、そのことを体でわかっているはずです。
長い間、生産物の量と質に重点がおかれてきた日本産業社会は、生産物と同時に発生するつくり」文化活動は始まります。
科学の敗北
次に考えていることは、科学の敗北ということです。
2004年の暮れに発表されましたが、科学よりも占いや迷信、血液型などによって人生を決めてゆこうという風潮が強烈になってきているようです。
もしかしたら、文明の後退が始まっているのかもしれません。
私たちは、科学技術や科学知識を尊重します。とりあえず、目に見えない力をきちんと認識し、計算し、コントロールできる、という実験教室を開始しました。
そして、そういう活動はいろいろな方が担当しておられることを知りました。そして、難しいことですが、こちらから出かけていって実験するという活動を思いつきました。それから、毎年福島県内各地に出かけて行き、地元の子どもたちと交流しながら不思議なことをやってみせる仕事になりました。
しかし、すべてがうまくいっているわけではありません。誰も来ない時があったり、何回やってもうまくいかない時があったり、全然受けなかったり・・・。
鉄つくり
「鉄の学校というのだから、鉄ぐらい作れるだろう」
・・というイメージを持たれていることにとまどいがありました。
「ああ、やりますよ」と簡単に答えてみたい気持ちがずっとありました。
でも、砂鉄から鉄をつくるのは、なかなかたいへんなことは知っていました。
砂鉄を100キロ単位で集めるのさえ、簡単ではありません。
でも第3年度目の平成17年6月、とうとうやりました。
会員や周囲のひとたちの強い要望に押され、簡易製鉄炉を編み出し、製鉄に成功しまたのです。やってみたら、感動体験でした。
古代の日本列島では、盛んに製鉄が行われていました。
ほとんど知られていないことですが、福島県は8世紀から11世紀にかけて、日本有数の製鉄地帯だったのです。
大和政権と蝦夷との戦いの武具として使われたのでしょう。
私たちは福島や古代東北の歴史と鉄を学びつつ、環境という概念をしっかりと踏まえ、新しい時代の鉄の文化を創造してゆければいいなと考えています。
平成18年6月、第二回目の製鉄実験を実施しました。今年は、少し大型の炉を作り、大量に鉄をつくることに挑戦。みごとに成功しました。

(製鉄実験は予算の都合で年に1−2度しか行いません)